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2007年12月30日
海津城と妻女山の位置関係
皆様、今年は大変にお世話になりました。
テキトーなことばかり書いていて教えていただくことばかりです。
来年もよろしくお願いいたします。
大河ドラマ「風林火山」は、
信州史を知る上で良いキッカケとなりました。
実は私、一旦映像で見ないと想像できない
という頭の悪さの持ち主なんです。。
そんな理由から書籍から学ぶということが
なかなかできずにいたのですが
これからはできそうな気がします。
昔から疑問に思っているのが
海津城と妻女山の位置関係です。
戦争で大切なのは実は補給だと聞きます。
ドラマでも睨み合いが続いたように描いていましたから
外部からの補給は少なからずあった
と考えるのが普通でしょう。
おそらく当時の地形としては
千曲川は海津城ギリギリまで迫っていて
海津城以北は湿地が混じった土地だと想像しています。
上杉方が妻女山に陣取ってしまたため
食糧などは地蔵峠を通って上田方面から調達するか
現在の長野市松代町から自給するしかないように思います。
「敵に塩を送る」謙信ですから、補給路を断つ
なんてことはしなかったのかもしれませんが
もし千曲川を使って坂城側から松代に補給していたら
やはり、それを断とうという考えは起こると思います。
武田方から見れば妻女山は“目の上のタンコブ”なわけです。
(だからこそ合戦に至ったのかもしれませんが)。
逆に上杉方から見ると、
越後から海津城の脇を通って補給をしなければいけません。
わざわざ孤立して本陣を置いたわけです。
妻女山は今の位置ではない、という説もあるようですが
あの辺りに陣を置いたという説が主流なわけで
現在の浅川西条だったという説でもない限り
上記の疑問を解くカギにはなりそうもないです。
現代生活の国道18号線を中心にした考え方に
染まってしまっているからかもしれませんが…。
来年はこの辺の疑問を解決したいです。
テキトーなことばかり書いていて教えていただくことばかりです。
来年もよろしくお願いいたします。
大河ドラマ「風林火山」は、
信州史を知る上で良いキッカケとなりました。
実は私、一旦映像で見ないと想像できない
という頭の悪さの持ち主なんです。。
そんな理由から書籍から学ぶということが
なかなかできずにいたのですが
これからはできそうな気がします。
昔から疑問に思っているのが
海津城と妻女山の位置関係です。
戦争で大切なのは実は補給だと聞きます。
ドラマでも睨み合いが続いたように描いていましたから
外部からの補給は少なからずあった
と考えるのが普通でしょう。
おそらく当時の地形としては
千曲川は海津城ギリギリまで迫っていて
海津城以北は湿地が混じった土地だと想像しています。
上杉方が妻女山に陣取ってしまたため
食糧などは地蔵峠を通って上田方面から調達するか
現在の長野市松代町から自給するしかないように思います。
「敵に塩を送る」謙信ですから、補給路を断つ
なんてことはしなかったのかもしれませんが
もし千曲川を使って坂城側から松代に補給していたら
やはり、それを断とうという考えは起こると思います。
武田方から見れば妻女山は“目の上のタンコブ”なわけです。
(だからこそ合戦に至ったのかもしれませんが)。
逆に上杉方から見ると、
越後から海津城の脇を通って補給をしなければいけません。
わざわざ孤立して本陣を置いたわけです。
妻女山は今の位置ではない、という説もあるようですが
あの辺りに陣を置いたという説が主流なわけで
現在の浅川西条だったという説でもない限り
上記の疑問を解くカギにはなりそうもないです。
現代生活の国道18号線を中心にした考え方に
染まってしまっているからかもしれませんが…。
来年はこの辺の疑問を解決したいです。
Posted by sak 改め Saxan at 09:29│Comments(1)
│川中島の戦い
この記事へのコメント
sakさん
こんにちは
今年一年ありがとうございました。
補給路の問題、たしかに
長期間にわたると
どうやって補給したのか
不思議ですね。
NPO夢空間では松代周辺の山を
謙信が通ったといわれている古道(主に山道)を
探索する会を数回にわけて少人数で開催してきました。
外部に呼びかけると大人数になってしまい
危険を回避できなくなりますので
毎回NPO夢空間会員内部にのみ
声をかけて実施してきました。
それでも毎回10人程度が参加して
あれこれ当時を思い返して歩く
道のりは楽しいものです。
今後はブログでも参加呼びかけをしますので
ご都合つきましたら
ご参加いただけると嬉しいです。
それでは良いお年を!
こんにちは
今年一年ありがとうございました。
補給路の問題、たしかに
長期間にわたると
どうやって補給したのか
不思議ですね。
NPO夢空間では松代周辺の山を
謙信が通ったといわれている古道(主に山道)を
探索する会を数回にわけて少人数で開催してきました。
外部に呼びかけると大人数になってしまい
危険を回避できなくなりますので
毎回NPO夢空間会員内部にのみ
声をかけて実施してきました。
それでも毎回10人程度が参加して
あれこれ当時を思い返して歩く
道のりは楽しいものです。
今後はブログでも参加呼びかけをしますので
ご都合つきましたら
ご参加いただけると嬉しいです。
それでは良いお年を!
Posted by 遊学城下町松代 at 2007年12月31日 17:19