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2007年10月02日
富岡日記と乾徳寺
今はどう教えているのか知りませんが
私が中学生の頃は官営富岡製糸場のことを教わる際に
和田英の「富岡日記」についても教えられました。
その和田英が松代出身だとは知っていたものの
横田家出身だと知ったのは最近のこと。
「旧姓横田」と併記してあるのを見てないことは
無いとは思いますが、その横田というのが
あの、横田家住宅の方とは思いもしませんでした。
松代の観光パンフレットに横田家住宅(地図はこちら)の
写真は載っているものの「昔の武家屋敷」という知識だけで
「横田って誰?」という感じで今まで全く知らなかったのです。
(修復工事の最中に何かの用事があって入らせてもらっただけで、
実は工事完成後に入ったことがないのです)。

(上図はインターネット等で調べた情報から私が作成したものですので、
追加情報・誤り等がありましたらご連絡ください)
横田英は富岡製糸場から松代に帰った後、
西条村(にしじょう)六工(ろっく)に創設された
六工社(ろっこうしゃ)製糸場(地図はこちら)に貢献します。

残されているのは看板とこの碑だけで草ボーボー。
六工社の施設は太平洋戦争期の慰安婦問題とも
関係してくるので保存に消極的なのかもしれません。
更に驚いたのは、筝曲八橋流(京都といえば「八ツ橋」
ですが乾いてるほうが元祖で、箏の形をしています)の
真田志んも上図のように横田家にゆかりがあって
和田英とは叔母・姪の関係になるわけです
(緑色が八橋流の伝承経路、叔子で八橋流は途絶)。
和田英は佐久間象山と同じ蓮乗寺に墓所があります。
私が幼い頃に松代で演奏会もあったそうですが
親に「連れてったのになぁ」と言われても
私には記憶にないのか行ってないのかすら判りません。
真田志んは真田勘解由家の菩提寺である
乾徳寺(けんとくじ,地図はこちら)に葬られています。
私が中学生の頃は官営富岡製糸場のことを教わる際に
和田英の「富岡日記」についても教えられました。
その和田英が松代出身だとは知っていたものの
横田家出身だと知ったのは最近のこと。
「旧姓横田」と併記してあるのを見てないことは
無いとは思いますが、その横田というのが
あの、横田家住宅の方とは思いもしませんでした。
松代の観光パンフレットに横田家住宅(地図はこちら)の
写真は載っているものの「昔の武家屋敷」という知識だけで
「横田って誰?」という感じで今まで全く知らなかったのです。
(修復工事の最中に何かの用事があって入らせてもらっただけで、
実は工事完成後に入ったことがないのです)。

(上図はインターネット等で調べた情報から私が作成したものですので、
追加情報・誤り等がありましたらご連絡ください)
横田英は富岡製糸場から松代に帰った後、
西条村(にしじょう)六工(ろっく)に創設された
六工社(ろっこうしゃ)製糸場(地図はこちら)に貢献します。
残されているのは看板とこの碑だけで草ボーボー。
六工社の施設は太平洋戦争期の慰安婦問題とも
関係してくるので保存に消極的なのかもしれません。
更に驚いたのは、筝曲八橋流(京都といえば「八ツ橋」
ですが乾いてるほうが元祖で、箏の形をしています)の
真田志んも上図のように横田家にゆかりがあって
和田英とは叔母・姪の関係になるわけです
(緑色が八橋流の伝承経路、叔子で八橋流は途絶)。
和田英は佐久間象山と同じ蓮乗寺に墓所があります。
私が幼い頃に松代で演奏会もあったそうですが
親に「連れてったのになぁ」と言われても
私には記憶にないのか行ってないのかすら判りません。
真田志んは真田勘解由家の菩提寺である
乾徳寺(けんとくじ,地図はこちら)に葬られています。
Posted by sak 改め Saxan at 23:45│Comments(2)
│真田氏関係
この記事へのコメント
sakさんの信州史に学ぶ、スタートしたばかりなのに目が離せません。
ズバリ松代の歴史の盲点を付いていて読んでいてとてもひきつけられます。
八橋流のその後ですが、松代には八橋流保存会というのがありまして、淑子さんがなくなった後も八橋流保存のための組織が結成されていて、毎週真田勘解お由邸で稽古が行われ、年に一回は八橋流定期演奏会が松代文化ホールで開催されています。
今年の定期演奏会はつい最近の9月29日に行われたところです。
淑子さんは関西で教員をされていましたが、淑子さんを慕う方々がご健在で昨年追悼集を刊行されました。
また、淑子さんを慕う八橋流のお弟子さんも東京にいらして、東京と松代の双方で八橋流の伝承をしています。
ということで、その後の状況をおつたえしました。
http://blog.goo.ne.jp/yumekukan_2006/e/20c7c210cffe5d97d216e2f782e24ac2 富岡製糸場と和田英
ズバリ松代の歴史の盲点を付いていて読んでいてとてもひきつけられます。
八橋流のその後ですが、松代には八橋流保存会というのがありまして、淑子さんがなくなった後も八橋流保存のための組織が結成されていて、毎週真田勘解お由邸で稽古が行われ、年に一回は八橋流定期演奏会が松代文化ホールで開催されています。
今年の定期演奏会はつい最近の9月29日に行われたところです。
淑子さんは関西で教員をされていましたが、淑子さんを慕う方々がご健在で昨年追悼集を刊行されました。
また、淑子さんを慕う八橋流のお弟子さんも東京にいらして、東京と松代の双方で八橋流の伝承をしています。
ということで、その後の状況をおつたえしました。
http://blog.goo.ne.jp/yumekukan_2006/e/20c7c210cffe5d97d216e2f782e24ac2 富岡製糸場と和田英
Posted by NPO夢空間松代 at 2007年10月03日 13:33
>NPO夢空間松代さん
いつも読んでいただいてありがとうございます。
今回は「和田英と真田志んは叔母と姪の関係だった」と
母から聞いたことをきっかけに書いてみました。
乾徳寺にも寺の縁起の説明看板が立つようになり
(昔からあって今回は新しくなっただけかもしれません)
調べてみようと思う気持ちになりました。
活字の苦手な私は、この手の話を何度聞いても
どうしても人間関係がイメージとして掴めず
「家系図は無いだろうか」と思ったのが運のつきでした。
これだけインターネットが普及した時代で
情報が溢れていると巷では言われていますが
ここまで細かい情報となると、どのサイトも
似たようなことしか書いていないものですね。
ご紹介いただいた「富岡製糸場と和田英」のサイトは
今回の系図の作成にだいぶ参考とさせていただきましたが
本当に素晴らしい記事だと思いました。
私のような文章が苦手な人間にも読みやすいですしね。
ご紹介いただき、ありがとうございました。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
今回は「和田英と真田志んは叔母と姪の関係だった」と
母から聞いたことをきっかけに書いてみました。
乾徳寺にも寺の縁起の説明看板が立つようになり
(昔からあって今回は新しくなっただけかもしれません)
調べてみようと思う気持ちになりました。
活字の苦手な私は、この手の話を何度聞いても
どうしても人間関係がイメージとして掴めず
「家系図は無いだろうか」と思ったのが運のつきでした。
これだけインターネットが普及した時代で
情報が溢れていると巷では言われていますが
ここまで細かい情報となると、どのサイトも
似たようなことしか書いていないものですね。
ご紹介いただいた「富岡製糸場と和田英」のサイトは
今回の系図の作成にだいぶ参考とさせていただきましたが
本当に素晴らしい記事だと思いました。
私のような文章が苦手な人間にも読みやすいですしね。
ご紹介いただき、ありがとうございました。
Posted by sak at 2007年10月03日 20:54